日本のハンコはこんなに面白い!印鑑トリビア
今やCOOL JAPANとして海外での評価も高い日本のハンコ。印鑑の起源や日本で花開いた印鑑文化、ちょっと変わった印鑑などを歴史的観点から紹介しつつ、あの有名な言葉とハンコの意外な関係について徹底解説します。
今やCOOL JAPANとして海外での評価も高い日本のハンコ。印鑑の起源や日本で花開いた印鑑文化、ちょっと変わった印鑑などを歴史的観点から紹介しつつ、あの有名な言葉とハンコの意外な関係について、徹底解説します。
ハンコはいったいどこから来たのか?
日本は世界で唯一、印鑑が今も制度として使われている国です。それゆえハンコは日本独自の文化と思われがち。でも実はハンコの発祥の地が古代メソポタミアだった・・・と知っていましたか?
印鑑の誕生~メソポタミア文明~
ハンコの起源は紀元前7千年以上前のメソポタミア文明までさかのぼります。現在のイラクにあたるメソポタミアの地で誕生した印鑑はエジプト、ギリシャを経てローマへ。旧約聖書にも印にまつわる記述が複数出てきており、印鑑はキリスト教と共にヨーロッパに広まります。
アジアへの進出~シルクロードを超えて中国へ~
西洋で発展した印鑑は、シルクロードから中国に伝わります。その後、秦の始皇帝がアジアで最初の「官印制度」という印鑑制度を定めました。権威や地位を誇示する手段として印鑑を使うあたりが、始皇帝らしいとも言えますね。
遠く海を渡って日本へ~日本の印鑑文化の開花~
日本に初めて印鑑が伝わるのは、中国の後漢王朝時代。現存する日本最古の印鑑として有名なあの金印「漢委奴国王」は、漢の皇帝から贈られたものです。
時を経て奈良時代以降になると、日本独自の印鑑文化が発展。私印、つまりプライベートなハンコの誕生によって印鑑のバリエーションが増えて、この頃に芸術的な意味合いを持つようになります。現在の印鑑制度の原型となる「印鑑登録」を制定したのは、明治政府です。ただ、この時代は国民全員が文字を書けるわけではありません。そこで、自筆で署名できない庶民でも、印鑑登録済みの実印さえあれば本人であることを証明できるようになり、一般市民にも印鑑が普及したのです。
日本のハンコの歴史 ~番外編~
日本史から読み解く印鑑・・・というと堅苦しいですが、実はちょっと変わったハンコがあったのは知っていますか?例えば僧侶たちが印鑑を作った時代があったのですが、かの有名な弘法大師の印はまるで抽象画のようなユニークなハンコでした。
出典:『捃印補正』(国文学研究資料館「蔵書印データベース」による)
もう一つご紹介するのが、キリシタン大名の印です。戦国時代は武将たちが権力をアピールするためにこぞって私印を作っていました。キリシタン大名たちも独自のハンコを制作しており、大友宗麟、細川忠興(細川ガラシャの夫)、黒田如水(黒田官兵衛)などの有名武将の印が今も残されています。印章にローマ字やキリスト教の洗礼名を用いるあたり、信仰の深さが伺えますね。
出典:吉川弘文館「国史大辞典」
ハンコが生みの親!?~三行半の誕生秘話~
「あなたとは離婚します!」この状況を「三行半を突き付ける」と言いますが、そのルーツは江戸時代の離縁状にあります。これがハンコと一体どのような関係にあるのか・・・?謎めいた関係をひも解いてみましょう。庶民がハンコを持てるようになったのは、江戸時代です。それまで彼らが使えたのは母印(ぼいん)か、爪先に墨を付けて判を押す爪印(つめいん)のみでした。現代の離婚届にあたる江戸時代の離縁状には、字が書けない人は3本の縦線の後に離縁を証明する爪印を押していました。この爪印が半分の縦線に見えることから、「三本線+半分の線」で三行半と呼ばれるようになったとか。
日本のハンコはCOOL!~今、日本から海外へ~
印鑑がここまで多様化して、生活や文化にまで浸透した国は類を見ません。電子署名や電子契約がスタンダードとなりつつある今でも、日本のハンコは外国人観光客に大人気。来日直後の外国人に突撃インタビューをして、日本での行動に密着取材する某人気テレビ番組がきっかけで、日本の印鑑に魅了されたフランス人青年が「ハンコ王子」と話題にもなりましたよね(※)
日本のハンコは芸術的・文化的価値があると世界に認められています。ドキュサインは、ハンコの電子化や契約業務の改善、プロセスの短縮化などを進めることで、日本のハンコ文化を未来につなげるべく、これからも皆さまを支援して参ります!
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出典:TV TOKYO「YOUは何しに日本へ?」